「カマタマーレ讃岐」のボトルネック解消に向けて
~インタビュー調査及びJリーグに所屬するクラブとの比較から~
09E330 宮內 由梨亜
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Ⅰ.はじめに
Ⅱ.地域密著型スポーツクラブとは
1.スポーツクラブの定義
2.スポーツクラブの歴史
(1)スポーツクラブの誕生と「企業(yè)スポーツクラブ」への成長
(2)「企業(yè)スポーツクラブ」の崩壊と「地域密著型スポーツクラブ」の誕生
(3)「地域密著型スポーツクラブ」の広がり
Ⅲ.香川県に存在する4つの地域密著型スポーツクラブ
1.香川アイスフェローズ
2.香川オリーブガイナーズ
3.カマタマーレ讃岐
4.高松ファイブアローズ
Ⅳ.カマタマーレ讃岐の課題
1.カマタマーレ讃岐を選んだ理由
2.目標である「Jリーグへの加盟」の條件と現狀・課題
(1)Jリーグへの加盟が地域にもたらすメリットとは
(2)Jリーグに加盟する為の條件
(3)カマタマーレ讃岐の現狀と課題
Ⅴ.カマタマーレ讃岐の課題解決に向けた2つの実例
1.資金確保の成功例:「ヴァンフォーレ甲府」
(1)「ヴァンフォーレ甲府」とは
(2) ヴァンフォーレ甲府が行った資金確保策
2.入場者數増加の成功例:「川崎フロンターレ」
(1)「川崎フロンターレ」とは
(2) 川崎フロンターレの入場者數増加に繋がった取り組み
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Ⅵ.カマタマーレ讃岐がJリーグに加盟する為の提案
1.資金の獲得に向けた提案
2.入場者數の増加に向けた提案
Ⅶ.おわりに
1.各章の要約
(1)第Ⅱ章
(2)第Ⅲ章
(3)第Ⅳ章
(4)第Ⅴ章
(5)第Ⅵ章
2.結論
3.今後の展望と課題
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Ⅰ.はじめに
「カマタマーレ讃岐」というサッカークラブをご存知だろうか。このクラブは、1956 年
に、高松商業(yè)高校のOBサッカー部として設立され、2010 年から現在に至るまで、Jリー
グの下部リーグであるJFLに所屬し、「地域密著型スポーツクラブ」として、ホームタウ
ンとする香川県で地域貢獻活動を行いながら、Jリーグへの昇格を目指している。
筆者が初めてカマタマーレ讃岐と関わったのは、大學4年生の8月の事である。筆者が所
屬しているゼミナールの先生が、カマタマーレ讃岐のスタッフの方と知り合いであった事か
ら、カマタマーレ讃岐のボランティアスタッフとして、試合の運営に攜わった事がきっかけ
であった。ボランティアとして參加した際に、筆者は、カマタマーレ讃岐のスタッフの方々
と話す機會があったのだが、その時、スタッフの方が、「クラブ全體としてJリーグへの加
盟を目指しているが、ただサッカーが強いだけではJリーグに昇格する事はできない。主に
資金不足の問題を解消する必要があり、スタッフは資金集めに奮闘しているが、なかなか実
を結ばない」と仰っていた。香川県で生まれ育った私は、地元のサッカークラブがJリーグ
に加盟し、香川県全體を盛り上げて欲しいという思いを持っている事から、本稿のテーマと
して、「カマタマーレ讃岐」を取り上げ、Jリーグへの加盟を果たす為に、ボトルネックと
なっている課題の解消に向けた提案を行いたいと考えた。
本稿では、まず、カマタマーレ讃岐がクラブ理念として目標にしているJリーグへの加盟
を果たす為に満たさなければならない條件と、実際にカマタマーレ讃岐のスタッフの方にイ
ンタビューを行う事で明らかになる現狀を照らし合わせる事で、カマタマーレ讃岐のボトル
ネックとなっている課題を導き出す。次に、成功例とする「ヴァンフォーレ甲府」及び「川
崎フロンターレ」が行う取り組みを、その取り組みを行うに至った経緯を見ていく事で、そ
れらのクラブの成功要因を探り、カマタマーレ讃岐のボトルネックとなっている課題の解消
に向けた提案を行っていく。
以下では5つの章を用いて、カマタマーレ讃岐のJリーグへの加盟を阻んでいるボトルネ
ックの解消
……(新文秘網http://jey722.cn省略2916字,正式會員可完整閱讀)……
以上を通して、企業(yè)に支えられてきたスポーツクラブが、「地域密著型スポーツクラブ」
と呼ばれるまでに至る現在までの過程を明らかにしていく。
(1)スポーツクラブの誕生と「企業(yè)スポーツクラブ」への成長
ここでは、1871 年に日本でスポーツクラブが誕生したきっかけから、スポーツクラブ
が広がり、企業(yè)が所有するに至った 1990 年までの過程を、人々のスポーツに対する考え
方の変化と共に説明していく。
明治時代以前、いわゆるスポーツとは、武術の鍛錬や祭りの儀式の為に行われる武道
であった。その為、現在のような娯楽として行われるスポーツは存在せず、また、それ
らを行う為に組織されるスポーツクラブも存在しなかった。日本でスポーツクラブが誕
生したのは、1868 年から始まった明治時代以降である。
明治時代、政府は、他國との競爭に勝つ為に、生産技術の向上や軍事力の強化が必要
であると考えた。そこで、西洋が持つ知識や技術を日本に取り入れる為に、積極的に外
國人労働者を迎え入れた。その頃、外國では、野球やサッカー等が盛んであり、それら
は娯楽として親しまれていた為、労働の為に來日した外國人労働者は、余暇時間にサッ
カーや野球等のスポーツをして楽しんだ。
當時、武術の鍛錬や祭りの儀式として行う剣道等の個人戦を、スポーツとして認識し
ていた日本人にとって、労働の余暇時間に行う野球やサッカー等の団體スポーツは、非
常に新鮮で、興味深いものであった事から、日本人にも広まっていき、各企業(yè)でスポー
ツクラブが組織されるようになった。始めは企業(yè)內だけで試合が行われていたのだが、
企業(yè)內で強いとされたスポーツクラブは、対外試合を臨むようになった。ある企業(yè)が別
の企業(yè)を破るようになると、企業(yè)內で自社のスポーツクラブを応援する動きが活発にな
っていった。企業(yè)同士の試合が活発になるにつれて、各企業(yè)は、自社で組織されたスポ
ーツクラブの勝利を、宣伝・広告に繋げたいと考え、クラブ名に企業(yè)名を組み入れる事
を指示するようになった。クラブ名に企業(yè)名を入れる事は、試合で勝利したクラブと共
に、企業(yè)名にも注目が集まるという事もあり、企業(yè)間の戦いに拍車をかけ、練習資金の
援助や練習場所の確保等、企業(yè)によるチーム強化の動きを活発化させていった(大谷 2008,
pp.230-232)。
このように、明治時代に海外から移住した外國人労働者が、野球等の近代スポーツを
企業(yè)に持ち込んだ事がきっかけとなり、「企業(yè)の広告塔」という役割を擔った『企業(yè)スポ
ーツクラブ』は誕生した。次の(2)では、企業(yè)で結成された「企業(yè)スポーツクラブ」が崩
壊し、現在、スポーツクラブの形態(tài)として主流となっている「地域密著型スポーツクラ
ブ」が誕生した経緯を述べていく。
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(2)「企業(yè)スポーツクラブ」の崩壊と「地域密著型スポーツクラブ」の誕生
ここでは、まず、企業(yè)が所有する「企業(yè)スポーツクラブ」という形態(tài)が崩壊した 1991
年の歴史的背景を述べ、続いて、企業(yè)スポーツクラブの解散によって、有能な選手が育
たなくなるという狀況を打破する事となった「日本プロサッカーリーグ」が発足する 1993
年までの過程を説明する事で、「地域密著型スポーツクラブ」が誕生した経緯を明らかに
する。
各企業(yè)の広告塔という役割を擔っていた「企業(yè)スポーツクラブ」であるが、1991 年に
起きたバブル経済の崩壊をきっかけに、多くの企業(yè)は所有するスポーツクラブを解散さ
せた。なぜなら、バブル崩壊時、経済不況により倒産の危機に陥った各企業(yè)は、経費を
削減する為に、宣伝・広告効果をある程度は期待できるものの、売上に繋がらないスポ
ーツクラブを解散させた方が、企業(yè)経営を健全にできると考えたからである。その結果、
解散したスポーツクラブの選手達は、引退を余儀なくされ、また、解散せずに済んだス
ポーツクラブの選手達は、経済の動向に左右される企業(yè)にいつ引退を迫られるか分から
ないという不安を、常に抱えざるを得なくなった。
この狀況を打破したのが、1993 年に発足された「日本プロサッカーリーグ(Japan
Professional Football League:以下ではJリーグと呼ぶ)(2)」である。當時、野球が國
民的スポーツとされた日本で、サッカーを流行させ、強化させたいと考えた川淵三郎氏
が中心となって組織された「公益財団法人 日本サッカー協會(Japan Football
Association:以下ではJFAと呼ぶ)(3)」は、ヨーロッパや南米の強豪國が設立してい
たプロサッカーリーグを參考に、日本でもプロサッカーリーグを起ち上げたいと考えた。
しかし、経済の浮き沈みや動向に左右されるクラブによるリーグでは、有望な選手が育
たないと考えた為、企業(yè)から獨立したクラブによって構成されるリーグを目指した。そ
の際に川淵氏は、「スポーツが人々の日常生活の一部として生活の中に溶け込む事で、
人々のスポーツに対する意識と態(tài)度を変化させ、スポーツを地域社會の中に定著させた
い」と考え、「企業(yè)に依存するスポーツクラブ」の脫卻と共に、リーグ參加を希望するク
ラブに、以下の3つを義務化する事で、『地域密著型スポーツクラブ』を目指した。
(2)
「日本プロサッカーリーグ」とは、公益財団法人 日本サッカー協會及び公益社団法人
日本プロサッカーリーグが主催する日本のプロサッカーリーグの事である。加盟する為
には、いくつかの條件があり、現在は 40 クラブが加盟している(「Jリーグ」公式HP
2012,12 月 28 日閲覧)。
(3)
「公益財団法人 日本プロサッカー協會」とは、Jリーグを主催する2つの法人の1つ
であり、Jリーグの管理・運営を行っている。ちなみに、川淵三郎氏は、現在、最高顧
問に任命されている(「公益財団法人 日本サッカー協會」公式HP 2013,01 月 15 日
閲覧」)。
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①クラブ名には、企業(yè)名ではなく地域の名稱を入れる事。
②各クラブが「ホームタウン(4)」を定める事。
③定めたホームタウンで、地域貢獻活動を行う事。
Jリーグが以上の3つを義務化した結果、サッカークラブのクラブ名に企業(yè)名ではな
く、地域の名稱を入れる動きが活発になった。そして、それぞれが定めたホームタウン
で、試合や地域貢獻活動を行う事で、スポーツクラブは「企業(yè)が所有するもの」ではな
く「地域に根付いているもの」という印象を強め、その結果として、『地域密著型スポー
ツクラブ』が誕生することとなった(大谷 2008,pp.19-25、堀・木田・薄井 2007,pp.32-35)。
このように、バブル経済の崩壊がきっかけとなり、企業(yè)スポーツクラブは崩れ去った
が、Jリーグの発足に伴い、地域密著型スポーツクラブが誕生する事となった。次の(3)
では、地域密著型スポーツクラブが、現在、日本全國にどのような広がりを見せている
かを明らかにする。
(3)「地域密著型スポーツクラブ」の広がり
ここでは、Jリーグが発足した 1993 年以降、「地域密著型スポーツクラブ」が、現在、
日本全國でどれほど主流となっているかを、サッカー以外のスポーツを実例に用いる事
で明らかにしていく。
上記(2)で述べた地域密著型スポーツクラブを組織する動きは、1993 年にJリーグが
発足して以降、他の競技にも広がった。例えば、野球界では、「北海道日本ハムファイタ
ーズ」は、2004 年に「日本ハムファイターズ」から「北海道日本ハムファイターズ」に
クラブ名を変え、また、「東京ヤクルトスワローズ」は、2006 年に「ヤクルトスワローズ」
から「東京ヤクルトスワローズ」にクラブ名を変える等、野球界のスポーツクラブは、
クラブ名に地域の名稱を入れるようになり、優(yōu)勝した際には、各クラブが定める地域で
優(yōu)勝パレードを行っている。他にも、2005 年に発足された「四國アイランドリーグ plus(5)」
や、2007 年に発足された「北信越BCリーグ(6)」では、「企業(yè)スポーツからの脫卻」を宣
言し、リーグ參加條件として「各ホームで地域に密著した活動を行う事」を掲げたりす
(4)
「ホームタウン」とは、「プロスポーツクラブ等の本拠地の事」である(松村 1999,
2427 ページ)。ちなみに、Jリーグの規(guī)約には、「Jリーグに所屬するクラブは『ホーム
タウン』と定めた地域で、その地域社會と一體となったクラブづくりを行いながらサッ
カーの普及、振興に努めなければならない」と記されている「(Jリーグ」公式HP 2012,
12 月 28 日閲覧)。
(5)
「四國アイランドリーグ plus」とは、2005 年に発足された、四國4県を活動地域とす
る野球の獨立リーグである(「四國アイランドリーグ plus」公式HP 2012,12 月 28 日
閲覧)。
(6)
「北信越BCリーグ」とは、2007 年に発足された、石川、群馬、富山、長野、新潟、
及び福井の6チームで試合を行う野球の獨立リーグである(「BCリーグ」公式HP
2012,12 月 28 日閲覧)。
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る等、サッカーだけではなく、野球界にも「企業(yè)スポーツクラブ」を脫卻し、「地域密著
型スポーツクラブ」へ移行する流れができている(谷塚 2008,pp.18-20)。
このように、日本のスポーツクラブの形態(tài)は、従來の「企業(yè)スポーツクラブ」から、「地
域密著型スポーツクラブ」へと変化してきた。では、私たちが住む香川県にはどのよう
な地域密著型スポーツクラブが存在するのか。次のⅢ.からは、私達が住む香川県をホ
ームタウンとする4つの地域密著型スポーツクラブを、クラブ理念やこれまでの成績を
示しながら紹介していく。
Ⅲ.香川県に存在する4つの地域密著型スポーツクラブ
この章では、筆者の地元である香川県をホームタウンに定めている4つの地域密著型ス
ポーツクラブを1つずつ紹介し、私たちが住む香川県にはどのようなクラブが存在し、
どういった活動を行っているかを示していく。
最初に説明する「1.香川アイスフェローズ」では、まず、「香川アイスフェローズ」の
活動拠點、及びクラブ名の由來を説明し、次に、これまでと現在の活動を明らかにする為
に、所屬しているリーグと、そのリーグでのこれまでの成績を示す。最後に、クラブ理念
を述べる事で、今後目指している方向性を明らかにしていく。以降、「2.香川オリーブガ
イナーズ」、「3.カマタマーレ讃岐」、及び「4.高松ファイブアローズ」も、同じ要領で
説明する。
以上を通して、香川県をホームタウンとする4つの地域密著型スポーツクラブの概要と、
各スポーツクラブの実際の活動狀況を明らかにしていく。
1.香川アイスフェローズ
ここでは、「香川アイスフェローズ」の活動拠點、クラブ名の由來、所屬リーグ、これ
までの成績、及びクラブ理念を説明する。
「香川アイスフェローズ」とは、香川県高松市を中心に活動するアイスホッケークラブ
で、ホームアリーナは香川県木田郡三木町にあるトレスタ白山アイスアリーナである。チ
ーム名の「アイスフェローズ」とは、英語で「氷上の仲間達」を意味している。
主な所屬リーグはJアイス・ウエスト・リーグ(7)であり、當リーグでは、発足された 2005
年から 2012 年を通して、8年連続でリーグ優(yōu)勝を果たしている。
(7)
「Jアイス・ウエスト・リーグ」とは、2005 年から始まった、日本アイスホッケー連
盟が主催する社會人リーグの事である。北海道を中心とする東日本のJアイス・ノース・
リーグと、西日本のJアイス・ウエスト・リーグ及び J アイス・サウス・リーグの3つ
に分けられる(「日本アイスホッケー連盟」公式HP 2012,12 月 28 日閲覧)。
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クラブ理念は6つあり、「①四國香川から日本一のクラブチームを目指します。②香川
アイスフェローズは、アイスホッケーを通して夢と感動を與えます。③クラブ員は常に「フ
ェアプレー&リスペクト」精神に徹し、全てのスポーツマンの目標になります。④地域の
活性化のためにスポーツ文化を育成します。⑤頂點へ挑戦します。⑥四國香川からオリン
ピック日本代表選手を選出し、日本代表チームを支援します。」である。
以下の図1は、香川アイスフェローズのクラブロゴである。
以上が、香川アイスフェローズのクラブ概要である。次に、野球クラブである「香川オ
リーブガイナーズ」を紹介する。
2.香川オリーブガイナーズ
ここでは、「香川オリーブガイナーズ」の活動拠點、クラブ名の由來、所屬リーグ、こ
れまでの成績、及びクラブ理念を説明する。
「香川オリーブガイナーズ」とは、香川県で活動する野球クラブで、ホームスタジアム
は高松市にあるレクザムスタジアムである!弗戛`ブガイナーズ」というクラブ名は、
香川県の県木であるオリーブと、讃岐弁の「強い」を意味する「がいな」、そして英語の
「guy」を組み合わせた造語である。
香川オリーブガイナーズは、発足した 2005 年から四國4県が參加するプロ野球獨立リ
ーグ「四國アイランドリーグ plus」に所屬しており、発足1年目の 2005 年は4チーム中
3位で終えたものの、2年目の 2006 年から4年目の 2008 年の3年間を通してリーグ優(yōu)勝
を果たしている。その後、2009 年は優(yōu)勝を逃し、3位であったが、2010 年には優(yōu)勝を果
たしている。2011 年は再びリーグ3位だったが、2012 年には再び優(yōu)勝を果たしている。
クラブ理念は、ホームページに記載がなかった為、省略する。
次のページに示した図2は、香川オリーブガイナーズのクラブロゴである。
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